『 第8話 京の師走の風物詩 御身拭式 と 終い天神 』
紅葉のシーズンが終わって、普段の落ち着きを取り戻した京都・・・。たしかに観光客の数はグッと減りましたが、師走の京都こそ、この一年に感謝して新年を迎える昔からの伝統行事が行われ、本来の京都が垣間見える季節なのです。朝晩の冷え込みもグッと増し、いよいよ年の瀬。
この25日(土)に行われた京都の師走の風物詩 『 御身拭式 』 (知恩院)と 『 終い天神 』(北野天満宮)に行き、昔から続く京都の師走の息吹を感じると共に、迎春準備で忙しい寺社や街の風景も合わせてお届けしま〜す。
にしんそば 「 松葉 」
にしんそば ( 見本 )
< 地図 :
松葉
>
さて、今回も出発は四条京阪(南座前)。南座のお隣には、京都を代表する料理のひとつである鰊蕎麦(にしんぞば)をいただける『松葉』(まつば)さんがお店を構えています。 年越しと言えば「そば」ですから、これから大晦日にかけて大忙しになるんでしょうね。
明治初期、柔らかくなるまで煮込んだ鰊(にしん)と熱い蕎麦を合わせて「鰊蕎麦」としたそうです。京都は海から遠く離れているため、なかなか新鮮な魚は手に入らない。そこで、干物などの固い魚をじっくり煮込んで柔らかくしたのです。その昔、「鰊は猫がまたいで通る」とまで言われたんですが、そこは京都の料理人、うまく料理して絶品に仕上げたのでした。
八坂神社
境内
< 地図 :
八坂神社
>
八坂神社に到着〜。年越しまで残すところあと7日。境内のあちらこちらで舞台を作ったり、柵をつくったりと迎春準備で大忙しのようでした。
八坂神社の年越しの風物詩と言えば・・・
境内 ( 能舞台前 )
釣燈籠
そうです、『おけら詣り』ですね。大晦日の夜になると、この六角の釣燈籠の中に「おけら火」が焚かれ、参拝にやってきた人々は「吉兆縄」にその火を移して家まで持って帰り、正月の雑煮をこの火で炊いて、一年の無病息災を願うのです。この「おけら火」は神火であり、12月28日に伊勢神宮と同じ古式の発火道具を使って火をおこします。元旦の早朝、この火に「白朮(おけら)」を加えて焼くので『おけら詣り』と呼ばれるのです。白朮は薬草であり、皮を取って乾燥させ、焼くとちょっと刺激的な香りを発っし、これが厄除けとされてきたのです。
おもしろき 白朮詣の 人なだれ
火縄振り振り ゆけば楽しも 〜 吉井勇 〜
吉兆縄に「おけら火」を移した人々は、その火を消さないように、縄をくるくると回しながら歩いて帰路につくのです。
枝垂れ桜
円山公園
< 地図 :
円山公園
>
八坂神社を抜けて東に行けば、すぐに円山公園となります。春は夜桜の名所であり「円山の枝垂れ桜」で知られるこの桜も、今はまだ遠い春をひっそりと待っている、そんな感じを受けました。
円山公園は明治19年、作庭家「小川治兵衛」によってに作られた、京都で最も古い公園なのです。当時の小川治兵衛は数々の名園を京都に残しており、平安神宮の神苑や無鄰庵の庭園がその代表作となっています。
坂本龍馬 ・ 中岡慎太郎 銅像
滝
円山公園は東山の麓の緩やかな丘陵にあり、大きな池を中心とした回遊式庭園となっています。実はこの池の水は、公園の一番奥の滝から流れ出ているのですが、この水は琵琶湖疏水なのです。明治18〜23年にかけて行われた一大事業「琵琶湖疏水事業」によって、琵琶湖の豊富な水がトンネルを通って京都に引かれました。京都の蹴上に流れ込む疏水は、蹴上から分岐して、市民の大切な飲料水や公園・庭園の水として供給されました。
ちょうどその頃、小川治兵衛によって造園された庭園の多くは、この疏水の水を匠に用いているのです。平安神宮の神苑、無鄰庵、円山公園などがそうなのです。円山公園の滝の近く、よ〜く川の中を見てください、琵琶湖の名物「しじみ」の貝殻がたくさんあるんですよ。そう、水といっしょに、琵琶湖の「しじみ」がやってきているのです。
平安神宮の神苑は、今では琵琶湖では見られない貴重な「昔の琵琶湖」の生態系がそのまま残されているのです。どういうことかと言うと、明治の昔に疏水といっしょにやってきた魚貝類が神苑に定着し、その後、水の入り口にフィルターが設けられ、以後は、入ってこなくなったのです。さて、本家琵琶湖は、昭和になって外来魚のブラックバスなどが爆発的に数を増やし、古来の淡水魚を食べてしまい生態系は大きく崩れました。絶滅してしまった魚もあります。しかし、なんと神苑にその生態系が残っていることがわかり、今、学術的にも貴重なものとなっているのです。
明治になるまで、円山公園の丘陵には多くの伽藍が立ち並んでいました。ちょっと円山公園の奥へと歩いて行ってみましょう。
安養寺 ( 吉水草庵 )
本堂
< 地図 :
安養寺
>
円山公園の一番奥にある「安養寺」。歴史は古く、平安京とほぼ同じ頃に伝教大師最澄によって開かれたお寺なのです。その後、法然上人がここに「吉水草庵」を結び、浄土念仏の布教に努めた、いわゆる念仏発祥の地なのです。正しくは『慈円山大乗院安養寺』といい、「慈円山」より「円山」とこの辺りが呼ばれるようになりました。江戸時代には、この安養寺の本房を中心に「阿弥」の名を持つ六坊が建ち並ぶ立派な寺院でした。しかし、明治初期、買収で個人の手に渡ったり、火災で焼失したりして、今では、「左阿弥」が料亭として残るのみとなり、他は円山公園となったのです。なだらかな丘陵の平らな部分は、その堂塔の跡なのです。
今日は、法然上人の足跡を辿る旅でもあり、いよいよ、浄土宗総本山知恩院へ向いましょう!
知恩院 三門
男坂
< 地図 :
知恩院
>
八百年の時を越えて、今も脈々と続く法然上人の教え「浄土宗」。この三門を前にすると、法然上人の偉大な足跡と人々の信仰の厚さに圧倒される思いです。
元は小さな寺院であった知恩院ですが、江戸時代、将軍であった徳川家康が法然上人を敬い、知恩院を手厚く保護しました。その心は二代将軍秀忠、三代将軍家光に受け継がれ、境内に大きな堂塔が建てられ、現在の壮大な伽藍となりました。この三門も江戸初期に建てられたものです。
さて、三門をくぐると、目の前に階段が現れます。この急な階段は「男坂」と言います。ふっと思うのは、先ほどの三門といい、この石段といい、まるで城郭のような威容だということです。
知恩院には数々の伝説が残っていて、その一つが 『 二条城の出城 』 です。徳川家康は京都に二条城を造営して、西国大名と朝廷の監視に力を入れましたが、その二条城に万が一があった場合、知恩院を城とする、というものです。そのために知恩院は城郭のような伽藍を持ち、二条城と知恩院を結ぶ秘密の地下道もあると伝えられています。
江戸初期、徳川家の菩提寺として知恩院の壮大な伽藍が建立された時、普請した「五味金右衛門」にこんな話が残っています。五味金右衛門は、普請が終わると自害をしているのです。表向きには「普請の予算を大幅に超えてしまった自責の念から」と言われていますが、実は「出城として造営上の秘密を多く知っているために自害を選ばされた・・・」というものなのです。今も三門の上に「五味金右衛門」夫妻の像が安置されており、手厚く祀られていることからも、自ら自害した・・・というよりも、自害を選ばされたのでは?と考えるわけです。
とにかく、徳川家と強い結びつきがあり、いたる所に徳川家の『葵』の御紋を見ることができます。それでは、階段を登って行きましょう。
御影堂
屋根の上の瓦
階段を登るとすぐに大きなお堂が見えます。知恩院の中心的なお堂である『御影堂』(みえいどう)です。世界でも最大級の木造建築物であり、堂内に三千人が一同に会して参拝できる大きさなのです。
ちょっと屋根の上を見てください。瓦が二枚、置かれた状態で残っているのがわかりますか?
『 満つれば欠くる 世の習い 』 と言う、完成したものは必ず滅びていく という世の常を現す言葉があり、わざと瓦を置いて完成一歩手前にしておくことで、益々の発展を願うという意味があるのです。
さて、今日は この大きなお堂の中で行われる 『 御身拭式 』 ( おみぬぐいしき ) は、京都の師走の風物詩の一つです。法然上人像を香染めの羽二重で拭うこの儀式は、法然上人への感謝と、これから迎える新年の多幸を祈って行われるのです。
すでにお堂の中には多くの人が参拝に来ていました!
御身拭式
法然上人像 ( 中央 )
うわ〜、お堂の中は人でいっぱいです!中央に安置されている法然上人像を囲むように人々が座し、みな、一念に『南無阿弥陀仏』を唱えて続けています。
法然上人は、特権階級のものであった仏教を、初めて庶民のものに変えたのでした。貴族などの一部の人が信仰していた仏教を、法然上人は『専修念仏』と言う、ただひたすらに「南無阿弥陀仏」を唱えれば誰でも救われる、と庶民に説き、絶大な信仰を集めたのです。その厚い信仰が今に伝わり、この「御身拭式」にも全国から信者の方が参拝に来ているのです。
今日はこの「御身拭式」の念仏を聞きながら、境内の奥の奥まで行って、法然上人の足跡を辿ってみたいと思います。
勢至堂への階段
勢至堂 門
< 地図 :
知恩院 勢至堂
>
この階段を登っていくと、「勢至堂」と「御廟」があります。法然上人が亡くなった後に弟子達によって建てられた知恩院は、この勢至堂を中心とする小さな寺院だったのです。
勢至堂
御廟
勢至堂は、かつての「御影堂」です。知恩院はこのお堂から始まったのです。
そして、さらに上に登ると、法然上人の「御廟」があります。境内の最も奥の高い場所にあり、下の喧騒がウソのように静まり返ったこの廟に、今も浄土宗と知恩院の行く末を見守るように、法然上人の魂が生き続けているのです。私も御廟を前にして、しばし、合掌をして「南無阿弥陀仏」を唱えました。
四国に流罪になった法然上人が再びこの地に戻ってきたのは79歳の時。わずか1年足らずの日々、一心に念仏を唱えながら過ごしたそうです。そして、80歳で入滅されました。1212年の入滅から、800年が過ぎようとしています。800年後の世においても、これほどの厚い信仰を受ける法然上人。一人の人間の教えと名前が、800年の時を経て衰えるどころか、益々の発展を続けている・・・、その始まりがここ知恩院なのです。
さらに念仏を聴きながら境内を歩いてみましょう。
鐘楼への階段
大鐘楼
< 地図 :
知恩院 鐘楼
>
再び急な階段を登ると、今度は大きな鐘が見えてきました。大晦日、「除夜の鐘」として知られる鐘楼です。重さが70トン近くあり、日本三大鐘楼の一つに数えられています。
梵鐘
看板
大晦日「除夜の鐘」の模様は、来年最初の道中記で詳しく書きたいと思います。
そこで、今日はちょっと面白いエピソードを紹介しま〜す。
大正11年、あの相対性理論を唱えた物理学博士「アイン・シュタイン」は日本を訪れた際、この知恩院に立ち寄っているのです。その時、この大きな鐘の事を聞いたアイン・シュタインは、早速、鐘楼に向かい、鐘の真下に行ったそうです。撞くと20分近くも余韻が残るこの鐘ですが、実は真下は音がフッと消えるそうなのです。音の波の物理現象、それを確かめた、という話が残っているんです。
本当に大きな音が鳴りますよ!ぜひ、大晦日の「除夜の鐘」を聴きに来てみてください。
さあ、今日はさらに鐘楼から奥へと向います。この先は、京都の人でも行ったことがある人は少ないのではないでしょうか?しかし、法然上人の足跡を辿るには、ぜひ行っておきたい場所なのです。それでは、参りましょう〜。
法垂窟への道
法垂窟
< 地図 :
法垂窟
>
鬱蒼とした山の中を進むこと一丁、『法垂窟』(ほうたるのいわや)が現れてきました。こここそ、法然上人が念仏の教えを伝え始めた、浄土教の発祥の地なのです。
法垂窟
内部
比叡山で修行をした法然上人は、野に下りて黒谷(現:金戒光明寺)に草庵を結び、後にここ吉水に「吉水草庵」を結びました。そして専修念仏による魂の救済を庶民に説いたのです。「吉水」(よしみず)とは、この「法垂窟」に今も脈々と涌く「よい水」のことを言うのです。
銅版
泉
この法垂窟にある一枚の銅版を見てください。ちょっと難しい話になるかもしれませんが、これこそ、法然上人が説いた浄土念仏ですので、ぜひ、聴いてください。
左は「善導大師」といい、法然上人から500年ほど前の唐代の僧で、法然上人が念仏の師とした高僧です。右は「円光大師」といい、法然上人のことです。法然上人が、「庶民のために何ができるのか?」そう問いただす修行中のころ、夢の中でこの「善導大師」と出会い、浄土教のヒントを得たのでした。善導大師の「観経の疏」(かんぎょうのしょ)には、「常に南無阿弥陀仏を唱えるのが仏道修行をする者の勤めであり、阿弥陀の本願に叶う道である」と説いているのです。そして、もう一つ、阿弥陀様が仏になる前に残した言葉の中に「念仏を唱える人を浄土へ迎えましょう。もしできなければ、仏にならない」とあり、すでに仏になられている阿弥陀様がいるということは、誰でも念仏を唱えれば浄土へ迎えてくれる!と解して、専修念仏で浄土へ行けると法然上人は説いたのでした。
「善導大師」との夢の中での出会いは「真葛ヶ原での出会い」と言われ、その様子が描かれているのです。
29歳で比叡山を下りた親鸞聖人も、ここ吉水草庵を訪れ、法然上人から念仏の教えを学んだのです。今も脈々と枯れることなく涌く「法垂窟」の水のように、今も脈々と続く浄土の教えは、まさにここから始まったのです。
さて、これで知恩院を後にして、北野天満宮の『終い天神』へと向うことにしま〜す。
お漬物 「近為」
店内
< 地図 :
近為
>
北野天満宮へ向う前に、ちょっと寄り道を〜♪ お漬物の『近為』さんです。数あるお漬物の中で「柚子こぼし」が一番好きなんですが、ここ近為さんの柚子こぼしがお気に入りなんですね〜。しっかりお土産に買ってきました〜!
さて、すっかり陽も暮れてきましたが、いよいよ北野天満宮へ向いま〜す。
北野天満宮
露店
< 地図 :
北野天満宮
>
今年最後の天神さん『終い天神』(しまいてんじん)。毎月25日は、祭神である菅原道真の月命日として多くの参拝者が訪れますが、「終い天神」は、今年一年のご利益に感謝すると共に、来年の益々のご利益を願って、15万人もの人が参拝に来るのです。そして、正月が近いこともあって、千店以上ある露店には正月用品がずら〜っと並び、年の瀬の京都を感じることができました。
もちろん、まずは神殿に参拝をして、露店をぶらぶらしました。ちょうどお腹が減っていたので、ちょっと立ち寄ったお店で「丸丸焼」を買って食べました。ん〜、なんですかね、なんで屋台の食べ物って、こう美味しいんだろう〜?って思いましたね〜。
柚子こぼし
いや〜、師走の京都をたっぷりと満喫して帰ってきました。今日のお土産はなんと言っても『柚子こぼし』!お茶漬けといっしょに美味しく戴きました。
今年も残すところ、あと7日。いよいよ正月です。大晦日から正月にかけて、「除夜の鐘」「おけら詣り」「初詣」に行こうと思っていますので、また年明け、第9話でご紹介したいと思います〜♪。御期待ください。
今年は「らくたび」が発足し、皆さんのご愛好に支えられてきました。ありがとうございました。来年は「酉年」だけにさらなる『飛躍の年』にしたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
それでは、皆様、良いお年をお迎えください〜♪
04.12.26 記 : 涼
Copyright (C) 2004-2005 rakutabi all right reserved.