第30話 2006年10月22日(日) らくたび歩く講座
− 時代祭見学と御所、相国寺、下鴨神社散策 −
記 : きょうすけ
晴天にめぐまれた 10月22日、らくたびにとって初となる祭り見学を行う歩く講座がスタートしました。
今回の祭りは6年ぶりに日曜開催となった 時代祭 です。
なんといっても今回の目玉は、らくたび講師の若村さんが 「 徳川城使上洛列 」 の一員として参列することでした。
12時半に京都商工会議所前に約30人が集まり、時代祭の行列がゆく沿道にスタンバイしました。 |
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まずは 「 維新勤王隊列 」 「 維新志士列 」 がゆき、そして 「 徳川城使上洛列 」 がやってきました。
その後列に姿が見えたとたん 「 若村さーん 」 「 こっちこっち! 」 という声援が飛びました。
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あ!
いましたいました!! 沿道の声援に応えて手をふってます。 |
皆さんがあちらこちらに分散して見学しているため、若村さんも大忙し? さぞかし周りの人は一体この人は誰?と思ったかもしれません。
聞くところによると、徳川城使上洛列は下京区を含めたいくつかの学区が持ちまわりで担当をしていて、今回は27年ぶりに若村さんが住む有隣学区の順番だったそうです。
若村さんは、その27年に一度の年に、60数世帯の町内の町会長をしていたため、今回の時代祭へ参加することになったとか。
まさに強運です! 皆さんにも楽しんでいただけたようです。
続いて 「 江戸時代婦人列 」 が過ぎて13時半となり、時代祭を惜しみながらも、さあ、いよいよ歩く講座の出発です。
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今日は下鴨神社まで歩くロングコース。
まずは、烏丸通を北へ上って丸太町通を越え、菅原院天満宮
に立ち寄ります。
ここは学問の神様 菅原道真公 の生誕の地とされ、父、祖父と三代に渡る邸宅跡だそうです。
道真公の産湯に使われた井戸も残っていました。 |
道真公産湯の井 |
| そしてさらに上ると
護王神社 に着きました。 ここでは、らくたび講座に出席していただいている松村さんのご紹介で、護王神社の本郷禰宜様に神社の解説を丁寧にしていただき、境内を散策しました。
祭神の和気清麻呂公を300頭の猪が道中をお守りしたという言い伝えから、猪が神社の守り神となっています。
来年は12年に一度の猪 ( 亥 ) の年、多くの方が全国から参拝にこられることでしょう。 |
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神社を出て烏丸通を渡ると、京都御苑 へ入る門がありました。
この門は 蛤御門 といい、幕末に朝廷内での権力奪回へ向けて京都へ攻め上ってきた長州藩が、会津・薩摩の連合軍と戦いを繰り広げた場所です。
激戦を物語るかのように、複数の銃弾の痕が門の柱に生々しく残されていました。 |
門をくぐって進むと1本の大きな椋の木が枝を広げています。 ここは、長州藩の勇将、来島又兵衛が狙撃された場所とされ、精神的支柱を失った長州藩は、その後敗走することとなります。
もし椋が話せるなら当時の様子を手に取るように語ってくれることでしょう・・・。
そして御所を左にみながら、「 松の木に生えた桜 」 に立ち寄り、北東の角へと進みます。ここは角が欠けてへこんだ形となっています。
「 満れば欠くる世の習い 」 といって、完全なものを作ってしまえば、あとは衰退があるのみ、これからも発展していくようにとの願いから、わざと不完全に完成させているそうです。
この考えは様々な所で用いられ、知恩院の御影堂の屋根に、不必要な瓦を2枚載せていることなどはその代表例です。
また、この北東の方角とは古来、悪いものがやってくる方角とされ 「 鬼門 」
と呼ばれていました。 この鬼門の守り神として抜擢された動物が猿で、この御所の北東角にもやはり猿が置いてありました。
ちなみに京都全体の鬼門として比叡山があり、この比叡山の麓の日吉大社では、猿が神の使いとして祀られており、さらには御所から北東のほうへ延長線上に位置する幸神社、赤山禅院にも猿が置いてあるのです。
まさに鬼門封じですね。
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この御所の猿の彫刻は左甚五郎作とも言われ、夜な夜な動きまわるので現在は金網に囲まれて座っています。
いつしかここは 猿ヶ辻 とよばれるようになり、幕末は尊皇攘夷の急先鋒とされた公家の姉小路公知がここで暗殺されました。
その事件を 「 猿ヶ辻の変 」 と呼んでいます。 |
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さて、普段はありえないのですが、今日は特別にこのあたりがバスの駐車場として開放され、多くの観光バスが止まっていました。
さすが時代祭ですね。 行き来するバスに注意しながら、明治天皇が幼少を過ごされた中山邸の横を通って、京都御苑の北東を北へ上ります。
突き当たったところに、先ほど述べた 幸神社 がありました。
30人も入れば境内はいっぱいです。 ここでは鬼門の猿をみなさんに探してもらいました。 神社の社殿のやはり北東に、ひっそりと、しかし白い目をランと光らせて猿がお祀りされていました。
なかなかその気になって探さないと発見は難しいです。 ここは祭神が猿田彦の神であり、幸神社の名前のとおり道祖神的な信仰のされ方をしていたようです。
ここから西へ向かって 相国寺 へ。 臨済宗相国寺派の大本山。
あの、金閣、銀閣を別格本山に持つ大寺院です。 その東の入口から境内に入ると 宗旦稲荷
がありました。 白狐が茶人の宗旦になりかわって、相国寺の塔頭で茶会を開いた逸話から現在、お祀りされています。
中央に位置する法堂は慶長10 ( 1605 ) 年に豊臣秀頼によって再建されたもの。 天井に描かれた狩野光信の雲龍図は見事で、堂内のある時点で手をたたくと、響き合って音が広がり、「
鳴き龍 」 と呼ばれています。
その後、境内を北へ抜けてさらに北進、上御霊神社 に到着しました。
かなり、このころから雲が空を覆ってきました。この神社は御霊信仰の神社の代表的な神社で平安京遷都の折、長岡京で非業の死をとげた早良親王ほか計八柱を祀っています。
境内はうっそうとした木々が生い茂り、建物もふくめ景観が見事に残っています。 ここが時代劇の撮影スポットとして登場するのもうなずけます。
また 応仁の乱発祥の地 でもあり、ここから11年間に渡る、京都市内のほとんどを焼き尽くした戦乱が始まったわけです。
上御霊神社を出て東へ。 寺町通を上ると、二つ目のお寺、天寧寺 からは素晴らしい眺めが楽しめます。
額縁門と称される門の奥には、まるで掛け軸にでも描かれているかのような美しい比叡山を見ることができます。
ここに来ないと出会えないシーンを堪能しました。 |
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さらに上って突き当たり、東へいくと鞍馬地蔵で親しまれる 上善寺 を過ぎ、出雲路橋に到着です。
ここからの東山はまた絶景。 比叡山が正面に見え、右手には東山如意ヶ岳の大文字が同時に目に飛び込んできます。
賀茂川のせせらぎと緑豊な空気に、かなり癒されました。
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さあ、橋を渡って、最後の見学地
下鴨神社 へ。
世界文化遺産に登録された下鴨神社。 ここは神職の方もおっしゃっていましたが、自然遺産ともいえるほど太古の森林の生態系が保存されています。
平安京遷都以前から賀茂氏が住み、この糺の森という自然に囲まれていたそうです。 |
ここでは、神社の歴史とともに、古社にある特徴である、鳥居と楼門と社殿の 「 傾き 」 について説明させてもらいました。
この下鴨神社は、長い参道でも知られていますが、よく見ると全て道が真っ直ぐ社殿まで伸びていません。 全てが微妙に傾きながら、斜めに、斜めに伸びています。
まっすぐに神様へ向かうのではなく、控えめに、遠慮しながら、そして道すがら自分の禊を落として、きれいな身体で神前に進む。
また神前でも90度に2礼、手を2回打つときは、弱冠右の手を引いて、手のひらをずらして叩くのが本来の方法だとか。
そして手をもどして、90度くらい曲げて礼をする。 これくらい、落ち着いて心静かにお参りしたいものですね。
最後は帰りに鴨長明ゆかりの 河合神社 や 鴨脚家
の横を通って歩く講座は終了しました。 祭りの後にしてはかなりのロングコースでしたが、みなさん楽しんでいただけたようです。
これから紅葉がいよいよ本番ですね。 また次回は紅葉の宇治でお会いしましょう!
〜 ご参加ありがとうございました。 お疲れ様でした! 〜 |