『 第3話 ・ 秋の京都サイクリング 』
京都六角柳馬場にある「コープ・イン・京都」にてレンタサイクルを借りて
サイクリングに出発!
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今回はコンパクトバイク「Mini Velo」をレンタル。1日レンタル料金: \1000 です。
詳しくは:京都サイクリングツアープロジェクト(KCTP)
http://www.kctp.net/jp/index.html
参照
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まずはレンタサイクルそばの「SHOP 99」にて、
ミネラルウォーター &お菓子、みかんを買い込む!
サイクリングでいいところは「あ!この景色いい♪」と思ったら、すぐに自転車を傍らに置いてしばし休憩ができること。歩いて回るよりずっと遠くまで行けるし、バスとかが来なくてイライラすることもない、とってもお気楽なのです。
柊屋
俵屋
さて、買出しが終わったら、いよいよ出発!まずは北へ北へと進んでいきます。
出発して最初に突き当たる大きな通りが「御池通り」
東へ向かって走ると、右手に「柊屋」「俵屋」という老舗旅館が見えてきました。
ちなみに京都は「炭屋」を加えたこの3つを「京都の老舗旅館・御三家」という。
顧客名簿を見ると岩倉具視、伊藤博文、木戸孝充、大久保利通などの明治の元勲達が名を連ね近年でもレナード・バーンシュタイン、ヒッチコック、アイザックスターン、某国の国王、アメリカ大統領、日本の有名俳優・・・これらの宿に泊まった著名人の名前も枚挙にいとまがない程。
庶民の我々にはとっても敷居が高い旅館なのです。
ちなみに基本料金、おひとり\46,000〜
「そういえば、6月に行ったサイパンは\29,800だったっけ…」
いつしか行ける日を夢見て通り過ぎました。
さらに東へ進むと京都市役所、京都ホテルオークラが見えてきます。
京都市役所の建物は明治時代のレンガ作りで、京都の近代的な部分を見せてくれます。
そして完成した頃は『京都の景観を損ねる!』と京都仏教会から相当なバッシングがあった京都ホテルも今は京都ホテルオークラへと名前を変え、すっかり京都のホテルのシンボル的存在になっています。
「俵屋に泊まるのは、おじいちゃんになってからでもいいとして、やっぱり今はオークラかな!!8月16の大文字・送り火の日とかに、17階フレンチレストランで食事とかいいかも♪」とひとりで勝手に自転車と一緒に妄想も走らせるのでした。。。
桂小五郎 像
高瀬川 一之舟入り
このオークラ周辺には、史跡がいっぱいあるんです。
まず、ホテルの入り口には「長州屋敷跡」の石碑。桂小五郎の像もホテル前に有!
そして高瀬川(森鴎外・『高瀬舟』の舞台)を作った角倉了以の邸宅跡、
高瀬川で荷物の積み下ろしをした場所「高瀬川一之舟入り」
ノーベル賞受賞者・田中耕一さんを輩出した島津製作所の創業の地「島津創業記念資料館」等 この辺りの地が、明治以降・京都の近代文化の中心であったことを感じさせてくれます。
YAOUフルーツパーラー
檸檬(れもん)
そして、さらに二条通りを西へ向い、寺町通りとの交差点にあるのが果物屋「八百卵」
今は「YAOUフルーツパーラー」と名前が変わっていますが、梶井基次郎の小説・檸檬(れもん)の中で
『その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった』と登場するお店なのです。小説当時の頃の面影はなく、今はすっかり近代化したビルに建て替えられました。1階には小説の舞台そのままに今でも檸檬が売っていて、おばあちゃんが留守番をしており、2階はフルーツパーラーになっています。
小説「檸檬」の中で、『私』はその果物屋で檸檬を買い、『丸善』でこっそり檸檬を置いて出てくる。。ここで檸檬をひとつ買って、ひんやりとした冷たさを感じながら、文学的な気分を味わうのもいいでしょうね。
「YAOUフルーツパーラー」から北へまっすぐ伸びるのが寺町通り。
その名の通り、お寺が多い通りなのです。
天正17年(1589)、豊臣秀吉が現在の寺町通の元を造ったのに始まり、
寺町通の東側に、西を正面にして北から南までずっと「寺」を並べたことに由来しています。この寺町通りをこれからずっと北上していくことにしましょう!
革堂(こうどう)
立て札
まず丸太町通りの手前、右手に見えてくるのは「革堂」
名前の由来は、開山の行円が皮の衣を常に着ていて皮の聖(ひじり)と呼ばれたことから。(お腹に小鹿のいる鹿を殺してしまったことに後悔し、弔うためだといわれています)
革堂では「幽霊絵馬」とその悲しい話が伝えられています。
<幽霊絵馬の話>
革堂の近くに一軒の質屋があった。
子供が生まれたので、お文という10歳の娘を子守りにつけた。
革堂へ子守りにきてるから、聞き覚えた御詠歌を口ずさむ。
ところが質屋の主人は法華経の信者であったので、
気に入らず折檻の毎日。 とうとうお文は死んでしまった。
親元には失踪と伝える。
お文の両親が驚いてやって来たが、なすすべもなく
観音様に祈願した。
その夜、お文の亡霊が現れて事の次第を語り、
母からもらった手鏡を残して消え去った。
両親は遺骸を探し出し葬ると、
娘の亡霊の姿を絵馬に写し取り、娘の冥福を祈って
形見の手鏡と共に革堂に奉納した・・・
その時の絵馬と手鏡が宝物館に収蔵されているのです。
ただし、この幽霊絵馬を見られるのは 地蔵盆の8月23・24日だけとのこと。
う〜ん。。残念・・・
せめてどんなものか見てみたくて、売店のおばちゃんに「幽霊絵馬の写真か何かありませんか?」と聞くと
「写真はないけど、絵ハガキなら・・・」と後ろの棚から出して見せてくれました。
板に薄っすらと浮かぶ幽霊の絵。そして、その絵馬に貼り付けてある手鏡。。
とても不思議な印象でした。
また革堂は 『京都・都七福神』 のひとつでもあります。
せっかくなので、『京都・都七福神』をご紹介しておきましょう!
革堂 寿老神 :福財・小宝・諸病平癒、長寿の功徳あり。
ゑびす神社 恵比須神 :商売繁盛、旅行安全、豊漁等の守護神で、庶民救済の神。
六波羅密寺 弁財天 :水を神格化。言語や音楽の神。
赤山禅院 福禄寿神 :幸福・高禄・長寿の三徳を与えられた。
松ヶ崎大黒天 大黒天 :商売繁盛の守り神。
東寺 毘沙門天 :毘沙門天を信仰すると十種の福を得るとされる。
萬福寺 布袋尊 :中国では弥勒菩薩の化現として信仰されている。
七福神は京都が発祥の地。
室町時代に京都で民間信仰として日本で最初に七福神信仰が興り、全国に拡がっていきました。正月二日の夜に、宝船に乗った七福神の絵を枕の下に入れて縁起の良い初夢をみるという風習は江戸時代の頃からのようです。正月の初夢は他に 1:富士 2:鷹 3:なすび とか言いますよね!七福神のうち恵比須神だけが日本古来の神様で、大黒天、毘沙門天、弁財天はインドの神様、福禄寿神、老寿神、布袋尊は中国の神様です。とってもインターナショナルですね。
ただ、こうしてみると七福神は京都の南北を幅広く点在しているので、自転車で七福神めぐりをするのは実際のところ無理。。レンタカーを借りるかタクシーを貸切りして、効率よく回っていくのがいいでしょうね!
さてさて、続きまして、丸太町通りを越えると、左手には京都御苑が見えてきます。
その京都御苑は丸太町⇒今出川通りに至るまでずっと左手に続いていて、その大きさに圧倒されます。
御苑の中をゆっくり回ってみるのもいいのですが、御苑内は石じゃりなので自転車ではちょっと走りにくいのです。ただ、京都のど真ん中にありながら驚くほど静かで、散歩にもぴったり!
御苑の散歩は次回におあずけです。
梨木神社
染井
寺町通りの左手、御苑から見ると一旦外に出たところにあるのが梨木神社。
ここに湧き出る染井の水は現存する唯一の京の三名水で、近隣の人はもとより、料亭の方まで常に水を汲みにくる人で賑わっています。
ちょうどその「染井の水」脇の入り口を通りかかったときに、水をくんでいる人たちを見て「そうそう!僕も!」、と飲み干したミネラルウォータのペットボトルを手にしました。
無料でもらってもいいのかなあ、と辺りを見回すと、お賽銭の箱が吊ってあります。
あそこに入れるのか!と思っている間に前に並んでる方が、僕の手にしている500ccのペットボトルを見て、「お先にどうぞ、たくさんありますから」と前を促してくれました。
お言葉に甘えて、先にお水を入れさせてもらい、お賽銭を50円ほど入れました。
さっそくお水を飲んでみると、さすが名水。まろやかな感じがします。
今朝買った「南ア○プスの○然水」よりもおいしかったですね!
ちなみに梨木神社は萩でも有名です。
廬山寺
寺町通りを挟んで梨木神社の向いにあるのが廬山寺。
ここは平安時代、御所務めをしていた紫式部がここに住まい、『源氏物語』を書いた所です。
日本で唯一フランスユネスコ本部に「世界の五大偉人」(世界最古の偉人並文豪)として登録された紫式部。
境内の庭には「紫式部邸宅址」の碑文が建っています。
本堂前の「源氏の庭」は、白砂を敷き、苔を配して、そこに紫式部にちなんで紫の桔梗が植えられていています。6月から9月にかけて咲く桔梗の楚々とした美に王朝の物語を連想してしまいます。
「光源氏のように歌でも!!」と意気込むも、結局何も思い浮かばず断念してしまいました。
今出川通りを過ぎて、御所も左手に見えなくなると、寺町通りが一番『寺町』らしくなってきます。
拝観寺院はないので外からしか様子は見えませんが、その寺院の並びを見ると、京都が1200年の間都であったことを実感させる通りでもあります。京都市内には今でも1660以上の寺院があるらしいんですよ!!
賀茂川
その寺町から東へ抜けると賀茂川が見えてきます。その賀茂川に沿って更に北上!
天気のいい日だと、比叡山や東山如意ヶ嶽の「大文字」、東山連峰がきれいに見えます。
出雲路橋を超えて、北大路橋〜北山大橋の区間が今回のサイクリングコースの中でも一番のスポット!!
賀茂川の河川敷は、砂利道がきれいに整備されていて、舗装された道よりも幾分柔らかなペダルの感触を味わえます。また植物園の横を通る『半木の道』は、枝垂桜の並木が続き4月中旬頃になると少し濃い桜色のトンネルができます。
北大路橋を過ぎると、賀茂川を横断できる飛び石が作られていて、小さい子供がお母さんに手を引っ張られながら飛び石を渡り、水に手をつけたりして遊んでいる姿が。普段の仕事の忙しさを忘れさせてくれる光景を目にします。何だかとってもほのぼの気分!
お腹が減ったので、ここでしばしのランチタイム。
手前のコンビニで買ってきたおにぎりと、朝 SHOP99で買ったみかんを食べる。
天気がいいのでミニ・ピクニック気分!
河川敷の風景を見てると、犬を散歩させている人、ジョギングをしている人、ビニールシートを敷いて楽しそうにランチを食べてるカップル・・・とっても平和でのんび〜りとする空気がこの辺りには存在していました。
そのままゴロンと寝そべって、昼寝をしたり読書をしたりするのも、休日の過ごし方にはいいのでしょうね!
次回はビニールシートと本を持ってやってこようと思いつつ、次の目的地へと。。
次は北大路をそのまま西へと自転車を走らせていきます。
目指すは堀川北大路にある「大徳寺」と「今宮神社」
大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山。応仁の乱で消失し、その後一休禅師によって再興されたお寺です。
紅葉で有名な「高桐院」をはじめ、秋に特別公開される塔頭を回りながら、秋の紅葉を楽しむのもいいでしょう。
ここでの名物は『大徳寺納豆』。あの「一休さん」で有名な一休禅師が遺したものです。
さっそく『大徳寺一久』へ、その大徳寺納豆を買いに行きました。ここは精進料理でも有名なお店。
お店に入り、「大徳寺納豆下さい!」と言って手渡されたものは、いわゆる糸を引く納豆ではなく、
レーズンを硬くしたような、どす黒い塊といった感じの物体。。
「これが納豆なのか??」と思いつつ食べてみると、その味はかなりクセがあり、ひとことで言うと「苦い…」
一袋買ってみたはいいものの、一粒食べただけで、もう十分。
「こんなの一体どうやって食べるんだろう・・・捨てるといっても勿体ないし」と思いつつ困惑顔をしていると
店員さんが「大徳寺納豆の御召し上がり方」という説明書を渡してくれました。
「大徳寺納豆の御召し上がり方」
● 抹茶の時の甘いお菓子の後に、緑茶、番茶をおのみになる時に。
● お酒・ビール・ウイスキー等のおつまみに。
● 梅干し・塩昆布の代わりに熱い御飯、お茶漬け、おかゆにのせる
● マーボ豆腐・味噌ラーメン・味噌汁のときに味噌の隠し味として少し混ぜる。
● 韮レバ炒めの調味料の味噌代わりに使う。
● 焼き飯・スパゲッティー・グリーンサラダの調味料の塩代わりに使う。
「殺菌力があるので胃腸の疲れたときに1つ2つ食していただくと、胃も軽くなり後味もよろしいかと思います」
酒のつまみや、梅干代わりにお茶漬けにのせたりするのは、まだ分からなくはないですが、味噌ラーメンやスパゲッティー、グリーンサラダに入れるというのはいかがなものでしょう。。。
もちろん人それぞれ好みがあるので何とも言えませんが、実際のところ駄目な人が多いのではないでしょうか。「そりゃあ、あれだけの味だったら殺菌力あるわな・・・」と、いろんな意味で関心してしまいました。
今宮神社 参道
あぶり餅
気を取り直して次に向かったのが、大徳寺の北側にある今宮神社。
神社の東門を出たところに「いち和」と「かざりや」という、あぶり餅の二軒の店が向かい合っています。
前を通ると両方の店から賑やかに客引きの声が掛かります。「あぶり餅 どうどす〜」
「あぶり餅」とは小さな餅を竹串に刺して炭で焼き、白味噌を付けたもの。
素朴な味で一度食べたら、その懐かしい味に病みつきになってしまいます。
今宮神社から出てみると、両店の呼び込みが激しいので、どちらに入るかも迷ってしまうところ。
今回は「かざりや」の方へ。
この「いち和」と「かざりや」、微妙に白味噌の甘さ加減が違っているようです。
串の本数と値段、そして開店時間などは両店で取り決めがあるそうです。
なんたって向かい合って同じあぶり餅を商っているのだから大変ですよね。
どちらか迷ったなら二つの店のあぶり餅を食べ比べてみるのもよいかも知れません。
ちなみにひと皿¥500。この日はひとりで2皿をぺロっと平らげてしまいました!!
船岡山からの眺望
お腹も満たされたところで、次に向かったのが船岡山。
今宮神社から、さっき「苦い」思いをした大徳寺を通り抜け、北大路を西に向えばすぐに船岡山に到着!
船岡山は高さ112mほどの山なので、山というよりは丘と呼ぶ方がふさわしい気がします。
船岡山は794年(延暦3年)桓武天皇が平安京造営のとき、この船岡山の地から京都盆地を望み、ここに都を置くことを決めたといわれています。そして、平安京はこの船岡山を基点として、その正面の方向に朱雀大路を定め、東を左京、西を右京としたとのことです。
この地に平安京造営を決めた理由は、京都の自然の地形が中国の易学・風水の『四神相応図』に合致していたからと言われています。
四神相応にはまるのが、都の理想型とされているのだとか。
その四つの神「四神」は一般に次のように言われています
北に山 船岡山 玄武 北の方角を守る霊獣 (玄武・・・亀と蛇)
南に池 巨椋池 朱雀 南の方角を守る霊獣 (鳳凰)
東に川 賀茂川 青龍 東の方角を守る霊獣
西に大道 山陽 山陰道 白虎 西の方角を守る霊獣
僕も当時の桓武天皇の気持ちになって、船岡山の頂上より京都盆地を眺めてみました。
確かに京都盆地は三方を山に囲まれ、自然の要塞になっていて、更に東には鴨川が流れて水にも恵まれ、都にするには非常に適している場所であっただろうことが想像できました。「夏は蒸し暑く、冬は底冷えする」と言われる京都。どうしてこんな地に平安京なんて作ったんだろう・・・と思っていたのが、やっと分かったような気がしました。
船岡山を下り、そのまま千本通りを南へ。そして、今朝借りた六角柳馬場へと自転車を返して、今回のサイクリングは終了しました。今回は京都中心街から北へ時計と反対回りにぐる〜と一周してみました。
京都は北へ向うほど上り坂になっていくので、行きは結構しんどいです。最後の船岡山辺りがちょうど一番標高が高い辺りになって、帰りはずっと下り坂という感じ。普段はバスや車で移動しているので、上り下りなど特に気にもしなかったことも、自転車に乗ったことによって改めて京都の地理を感じることができました。
次回は京都の西の辺りを回っていきたいと思います!
04.12.19 記:みちざね
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