らくたび 京都の旅

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らくたび京都道中記

第29話 2006年9月24日(日) らくたび歩く講座
     〜初秋の風が吹く都路を歩く
         茶道ゆかりの「 小川通 」と織りの町「 西陣 」散策 〜





                                           記 : きょうすけ


 今日は京都の街中にもかかわらず、観光でいくエリアではないコースを辿ります。まず集合は堀川今出川を東に入った北側、白峯神宮です。
白峯神宮
白峯神宮
白峯神宮

この神社は崇徳上皇と淳仁天皇といって、政治的に不幸な亡くなり方をした方々をお祀りしています。当時はこのような亡くなり方をした方々は、必ず怨霊となって災いをもたらすと信じられており、その霊を慰めるために創られた神社が京都には多く存在しています。


しかし、この神社の目玉は他にありました。日本の国民的スポーツとなってきたサッカーに関わる神社として近年注目を浴びているのです。
その訳はこの場所に飛鳥井家という蹴鞠の宗家とされる貴族の邸宅があり、球技の神様としてあがめられているからです。なるほど社殿には地元パープルサンガをはじめ、有名Jリーガーの寄進のボールやサイン色紙がズラリ。各高校のサッカー部の祈願もたくさんみることができます。

奉納されたボール
奉納されたボール

奉納されたボール


蹴鞠の石碑を後に、神社を出て、北へ上ると江戸初期の天才芸術家、本阿弥光悦邸宅跡の石碑がありました。
光悦が残した書、陶芸、蒔絵、絵画はどれも一級品として後世に語り継がれているものばかり。江戸時代を通して様々な芸術分野に多大な影響を与えたそうです。
この光悦が日蓮宗の信徒だったのは知られた話で、これから訪れる寺院にも関わってきます。
本阿弥光悦邸宅跡

さらに北へいくと川もないのに欄干が道の両側に・・・。
実はこのあたりには昭和38年まで小川が流れていたそうで、小川通という名が残る以外にも、水落町や小川児童公園など小川があった名残りが点在しています。
小川児童公園から北へ上ると、寺ノ内通に突き当たりました。そこにあったのが妙顕寺。境内まで入ってみてその大きさにびっくり。それもそのはず、数ある日蓮宗の中でも日蓮の孫弟子にあたる日像が建てた、京都における日蓮宗の最初の勅願寺、いわば草分け的存在のお寺だったんです。こちらには尾形光琳や乾山のお墓もあるそうです。
小川通
妙顕寺
小川通
 
妙顕寺

その後、西へ進むと宝鏡寺に着きました。こちらは非公開の門跡尼院で、「人形寺 」という通称で知られています。代々皇室の女性の方が入られていたそうで、幕末の孝明天皇の妹和宮もこちらで幼少を過ごされたとか。境内には、寺院の向いで店を構える和傘の老舗・日吉屋さんが作った傘が干してあるのを見ることが出来ました。すごく絵になる風景です。がやがやしたのに気付かれたのか、「らくたび」のことをご存知の日吉屋さんの方が、窓から顔を出してくださいました。
そしてその宝鏡寺の角にあるのが百々橋の礎石。以前流れていた小川にかかっていた百々橋は、かつて応仁の乱で東西両軍が向かい合った場所でもあります。宝鏡寺も百々御所をよばれていたように、有名な橋でしたが、埋め立てと同時に橋も外され、4つあった礎石の1つはここに置かれ、もう1つは室町小学校に、残る2つは洛西の竹林公園に保管されています。
宝鏡寺
百々橋の礎石
宝鏡寺
 
百々橋の礎石

そして小川通を北へ上れば、茶道のメッカともいうべきエリアに入ってきました。まずは表千家の不審庵、つづいて裏千家の今日庵と軒を連ねています。向いには茶道関係の漆器などを作るお店もあり、静かな雰囲気のなかに、凛とした空気が張り詰めているような感じで、思わず説明の声もトーンを落としてお話してしまいました。
不審庵
今日庵
表千家の不審庵
 
裏千家の今日庵

裏千家の門にある瓦には渦巻きの文様が。
これも水を大切にする心の表れでしょうか。この京都の豊富な地下水が茶道をささえてきたのは疑いないところです。
裏千家
裏千家
渦巻き文様の瓦がある裏千家の門

そしてその向いにどっしりとした仁王門が見えます。
ここが本法寺です。先に出てきた本阿弥家の菩提寺でもあり、「 鍋かむりの日親 」の名で知られる名僧日親が創建した寺院です。長谷川等伯もその塔頭に住んだというこのお寺を今日は拝観させていただきました。まずは宝物館へ。入ってびっくりの巨大な釈迦涅槃図。これこそ長谷川等伯61歳の時に書かれた渾身の力作です。残念ながら本物は3月15日から1ヶ月しか公開されませんが、等身大の写真が大迫力で迫ります。等伯が細部まで丹念に描ききったその絵に登場する人や動物からは、その悲しみがひしひしと伝わってきます。また2階に上ると涅槃図もまた2階から見える他、本阿弥光悦の茶碗や書がずらり。こんなに間近にあることに驚かされます。というのも確か先日大阪の百貨店で光悦の茶碗が展示されていた時には7重くらいの防弾ガラスに入って置いてあったのに。場所が変われば、えらい違いですが、それだけ光悦が身近な寺院であるということでしょうね。
そしてその光悦の作ったお庭へ回ります。ここは「 三つ巴の庭 」という名で知られているように、三つの巴を島で形作り、いわゆる仏教の思想、生きるもの全てが自然にさからうことなく、輪廻転生をくりかえすことを、その巴の渦をまいてぐるぐる回る意味にたとえて表現しているそうです。
本法寺
三つ巴の庭
本法寺
 
三つ巴の庭

 

なんとも光悦らしい斬新で面白い切り口だなぁと感心してしまいました。手前には蓮池が切り石で囲まれています。泥沼にしか育たない蓮こそが、本来人々が目指す姿である。この世を泥沼とたとえるなら、そこにしっかりと根を張りつつも、それに流されること無く美しい花を咲かせましょう。その為に努力しましょうという意味を表しているそうです。

奉納されたボール
三つ巴の庭


ゆっくりとお庭を見た後は、さらに北にある妙覚寺へ。こちらも日蓮宗の大本山の1つですが、日本史という視点で話すと、あの織田信長が家臣明智光秀によって討たれた「 本能寺(これも日蓮宗)の変 」の際に、嫡男で織田家の次期棟梁であった織田信忠は、こちら妙覚寺に泊まっていて、本能寺の変の直後に明智光秀に攻められて自害しています。この時、信忠だけでも生き残っていれば・・・。歴史にifは禁物ですが、その後の日本史が大きく変わっていたことでしょう。当時の場所は二条夷川だったのですが、現在は秀吉によってこの地に移転したきたそうです。入口の大門は聚楽第の裏門とも伝わっています。
その後、堀川通に出て北側、水火天満宮に立ち寄りました。ちょうどお祭の準備をされておられました。ここは道真の伝説にまつわる登天石があります。となりには出世石も並んでいました。

堀川通を横切って西へ進みます。どんどん道が細くなり、さらに進んだ突き当り北側に小さい神社が現れました。この神社こそ、今回のツアーの一つの目玉、櫟谷七野(いちいだにななの)神社です。
櫟谷七野神社
櫟谷七野神社
櫟谷七野神社

こちらはお稲荷さん、伊勢、春日大社、石清水八幡宮、賀茂、平野、松尾さん、といろんな神社のご利益があるすごい神社なのですが、もともと賀茂の斎宮所といって、賀茂氏の行っていた祭事に従事する斎王が住んだ場所とされます。したがって、現在の賀茂祭( 通称葵祭 )の際に、必ず毎年選任される斎王代がここに参拝されるそうです。


これらの事だけでも充分びっくりなのですが、こちらは更に、これまた珍しいご利益、「 縁戻し 」というのがあります。 一度別れた人を再び「 よりを戻す 」というご利益で、平安時代に宇多天皇の皇后が、天皇の愛を取り戻そうとして、ここに白砂をもって参拝したところ、その効果があって縁が戻ったそうです。現在もそういった願いを持つ方がされたのか、社殿の前にはいくつも白い砂が・・・。なんともすごい光景でした。

櫟谷七野神社

縁戻しの白砂

また最後のサプライズに、この神社の社殿の下の石垣は、豊臣秀吉が聚楽第を造る際に、諸大名から集めさせた石を使っており、その証拠に石に各大名の家紋の刻印を見ることができました。小さなことですが、それを知ると知らないとでは感動が全く違いますね。

驚きの神社をあとに、浄福寺通を下がっていくと突き当たりに雨宝院が現れました。西陣聖天と呼ばれ、真言宗の寺院になります。境内には歓喜桜が植えられており、松とのコントラストも良さそうです。
日蓮宗の最後は夜泣き止めの松がある本隆寺へ。こちらは天明の大火でこのあたり一帯が全焼したにもかかわらず、本堂が焼け残ったので「 不焼の寺 」とも呼ばれています。最後に、源義経ゆかりの首途八幡宮に参拝してツアーは無事終了しました。
本隆寺
首途八幡宮
本隆寺
 
首途八幡宮

今回見てきた日蓮宗の各寺院。室町時代には町衆の絶大な支持を受け、洛中に21もの本山が林立し、皆法華と呼ばれるほど洛中を席巻し、現在でもそこここに大きな境内とたくさんの塔頭をもつ、その勢力伸張の一番大きな原動力はなんだったのでしょう。個人的な感動ですが、それは町衆の持つ素養の高さ、本物志向ではないだろうかと思いました。宗祖日蓮はいろんな教えがある中で、あらゆる経典を読み、お釈迦様が本当に伝えたかったことは何かを突き詰め、それが法華経にあると結論付けます。少し前に比叡山を下って念仏道場から阿弥陀仏を信仰する浄土宗を広めた法然上人も、もちろん法華経を学んでいます。しかし法然上人は広く民衆を救うために、あえてその法華経部分を主張することなく、わかりやすい部分を拾い南無阿弥陀仏をひたすら唱えることで救われると解きました。これは素養のない大部分の民衆にも受け入れられ、急速に地方に広がりました。しかしこれに真っ向から反対し、糾弾した純粋な日蓮の本物志向が、町衆に理解され支持されたのではないかと思うのです。もちろん真相はいろいろもっと複雑に要因があるのでしょうけど。
現在、現実として驚くほど多くの日蓮宗寺院が残る京都。禅宗や真言宗など多くの観光客が訪れる寺院とは対照的に、観光とは無縁ながら、脈々とその信仰は続いてきています。こんな京都の、表の観光からは知りえない文化に触れてみるのも、また京都を違った角度から味わえるいいきっかけかもしれませんね。 

〜ご参加ありがとうございました。お疲れ様でした!〜

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