第28話 2006年8月20日(日) らくたび歩く講座
〜真夏の聖護院特別拝観と黒谷・真如堂〜
記 : きょうすけ
京都市内では地蔵盆が各地で開かれていたこの日、東山丸太町から19名でスタートしました。予想通りのかんかん照りですが、木々が生い茂る熊野神社の境内で神社の由来を、西尾為治氏の像とやつはし発祥地の石碑前で八つ橋の話を聞きました。
京都の土産では他を寄せ付けない人気の八つ橋。これはもともと八橋検校という人の名前からとったものだそうです。八橋さんとは、1614年〜1685年というから江戸初期に活躍した方で、もともと三味線の名手であったそうですが、その三味線の美しい音律を何とか琴にも取り入れられないかと思い、当時は宮廷雅楽のごとく庶民には縁のなかった琴に親しみやすいメロディを乗せ、音階を確立し、自ら多くの作曲を行った。これによって琴は大衆にも広がっていったそうです。 |
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| 八つ橋の老舗・西尾さん |
まさに現代の音楽の父という感じですが、なんと八橋検校が亡くなった1685年にヨーロッパで生まれたのが、楽聖と称されるヨハン・セバスチャン・バッハだったとか。いかに八橋さんの行った功績が先進性に富んでいるかがわかります。その八橋さんが亡くなったため、全国のお弟子さんがお墓に詣でてきたときに、もてなしでつくったお菓子が「八つ橋」として広まったというのが定説です。はじめは平だったらしいのですが、いつしか琴の形を意識したのが、カーブがついた今の形になったそうです。
老舗として知られる西尾さんと聖護院さんを見ながら、本日の特別拝観の聖護院へ着きました。
ここではお坊さんからの説明があります。「どれくらい時間ありますか?」と聞かれたため、「いくらでもあります。」とお答えすると「では1時間から1時間半くらいで説明していきます。」とおっしゃったので、そんなにたくさん説明あるのか、ちょっと冗談まじりかと思っていたら、終わってみたら2時間になっていました。しかし、その2時間はあっという間で次から次へと楽しいお話に引き込まれました。修験道(※1)とは何か、怖いイメージがついている理由や、その成り立ちから、修行時代の体験、現在のことなど興味深い話が続きました。とくに修行の象徴としてよく知られる高い崖の上から命綱と、人に足をもたれて吊るされるというシーン。はるか眼下に木々を見下ろし、自分のありかたを約束させられる。さあ引き上げてもらえるのかと思いきや、パッと手を離され数10センチ下へ落ちるとか。まさに命の縮む思いをして、決して忘れることのない自分への誓いを行うそうです。説明は建物内部も詳細に行っていただき、門跡寺院ならではの、行き届いた配慮のある襖絵や後水尾天皇の書院に対する従来の慣例にとらわれない発想や、その女御が住んでおられた時の工夫などは、それが現代の心にも通じるものがあり興味深かったです。またお不動さんの説明では、その怒りの意味するところや、持ち物、立ち方など、ちょっと怖いイメージがあったお像も親しみやすくありがたく思えました。通り一遍の説明ではない、しっかりとメッセージのこもった説明に感激しながら寺院を後にしました。
それにしてもお寺を一歩出ると、また暑い現実世界に引き戻されます。すぐ近くにあった
須賀神社は節分の懸想文で知られており、受けとった懸想文はタンスにしまうと着物が増え、鏡台にしまうと美人になれて良縁を授かるとかで、女性に人気の神社だそうです。まだまだ知られていない穴場かもしれません。
そして金戒光明寺の山門をくぐります。あのNHK大河ドラマの「新選組!」のロケもここでスタートし、冒頭の隊士達が駆け上がっていくシーンもまさにここでした。法然上人が浄土念仏道場を開いた由緒ある大寺院。幕末はその新選組を預かった京都守護職、会津藩の本陣として歴史の舞台に登場します。
説明を受けたあと、法然上人75歳像のある御影堂へ。昭和の19年の再建ながらすばらしい建築美で威風堂々としています。音響効果も抜群とか。
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| 金戒光明寺 山門 |
そのお堂から西方が開けて淀方面が一望でき、ここが軍事的拠点になった理由もわかりました。
お堂を降りて左に大きな末広がりの松があります。 これが熊谷次郎直実の「鎧掛けの松」と呼ばれています。
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平家物語で平敦盛と一騎打ちを行って、歳が自分の子と同じような若武者を手にかけざるをえなかった直実は、自分の生き方に無常観を感じて法然上人のもとで出家します。そのとき着ていた鎧をこの松にかけたということです。法然上人は直実にも「どんなに悪いことを行ったものでも、一心に阿弥陀仏にすがれば極楽浄土にいける」と解いたとか。 |
鎧掛けの松 |
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それまでいろいろ非道なことをしていても、直実のように人生をやり直して変えていけることができる。この事実だけでも偉大なことだと思いました。直実は本当にその後、多くの寺院を建立し名僧と称されるまでに至ります。
境内を後にして1万基あるという金戒光明寺の墓地の階段を登っていきます。途中直実と敦盛のお墓に手を合わせ上まで登りきると、文殊塔が向かえてくれました。
ここから市内の眺望は抜群です。この塔は江戸幕府の第2代目の将軍徳川秀忠の菩提を弔っていることからも、この寺院が江戸の初期から徳川家と結びついていたのがわかります。
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| 文殊塔 |
そこから少し横にあるくと西雲院へ到着。ここには法然上人がここで初めて念仏を上げたとされる紫雲石が安置されていました。西雲院が管理している会津藩士の墓をみて真如堂へ。境内が繋がっているくらい隣接しています。
真如堂は今や紅葉の新スポットになったようで、秋には紅葉狩りの観光客でごったがえしていますが、さすがに今日は誰もいません。と思ったら地元の方が地蔵盆をしておられました。地元の信仰が多少形を変えながらも脈々と続いているのをみると、何故かホッとします。
緑の色が深まった真如堂をあとにして、桜のトンネルの参道がある宗忠神社の境内を通って吉田神社へ。吉田山は木陰ができていて暑さをしのげました。神社に参拝後は京都大学のキャンバスで解散。
皆さん暑い中のご参加ありがとうございました。お疲れ様でした!
最後は喉を潤しに希望者で近くの進々堂でティータイムを取りました。
(※1) 修験道 ・・・
日本に古くからある山岳信仰と、仏教の密教などが結びついて平安時代末期に成立した宗教。霊験を得るための山中での修行、加持・祈祷・呪術儀礼などを主とするものです。 |