| ゴールデンウィーク3連続ツアー中日は『平家物語に咲く一輪の可憐な花「小督局」をたずねて』と題して、平等寺から六波羅を通って清閑寺までを歩きました。前日の東山ツアーに続いて参加された方も何人かいらっしゃって、集合場所の平等寺前はいつにもまして和やかムードでした。
振り出しの平等寺は、通称「因幡堂」。1000年の歴史を持ち、町のお堂として民衆に慕われてきました。因幡国(鳥取県)から都に飛んでこられたという薬師如来をお祀りしているのですが、こちらは頭の上に小さな座布団を載せているという一風変わったお姿です。
これは頻繁に火災にあったこのお寺が、ご本尊をお守りするための工夫のひとつ。お厨子の裏にはコロと紐も付いていて、いざ!というときには倒して紐で引いていち早く脱出、そのとき動いて頭をお打ちにならないように、とあらかじめ用意してあるのだそうです。
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因幡薬師 |
昔の木造の建物は燃えやすく、それは御所といえども例外ではありませんでした。現在の場所に落ち着くまでは天皇の住まいも火事のたびにあちこちに移っています。
平等寺の南側にはかつて高倉天皇の御所・東五条院があり、「平等寺」の命名も高倉天皇によるもの。天皇が寵愛した小督局の硯と琴も伝わっています。どちらにも紅葉の蒔絵がかすかに残っていて、平安時代の雅な面影を感じさせます。
今回のテーマである「小督局(こごうのつぼね)」という女性は、大変な琴の名手で、またその美貌は高倉天皇だけではなく冷泉隆房という公卿にも愛されました。しかしこのふたりには時の権力者・平清盛がそれぞれに娘を嫁がせていたからさあ大変、小督局は清盛の怒りを恐れ宮中から逃れて嵯峨野に隠れ住みますが、月夜の晩に琴を弾いているところを近くまで探しに来ていた天皇の使者に聞かれ、見つかってしまったのでした。そのくだりはなんとも美しくて切なくて、琵琶法師が奏でる旋律に載せて語ったという独特の調子もあいまって一層印象に残ります。
峯の嵐か松風か、尋ぬる人の琴の音か、おぼつかなくは思へども、駒を早めて行く程に、片折戸したる内に、琴をぞ弾き澄まされたる。控へてこれを聞きければ、少しも紛ふべうもなく、小督の殿の爪音なり。楽は何ぞと聞きければ、夫を想うて恋うとよむ想夫恋(そうふれん)と云う楽なりけり。
小督局は高倉天皇の元に戻り姫宮を出産しますが、幸せに暮らしたのもつかの間、清盛によってついには清閑寺で出家させられてしまったのだそうです。その際下ろした小督局の黒髪を使って作ったといわれる織物「光明真言」も見せていただきました。
南門から松原通までの短い南北の通りを「不明門(あけず)通」といいますが、それは御所への遠慮から南門を開けなかったためにこの名が付いたのだとか。
今度は松原通を西へ、平家一門の邸宅が軒を連ねていたという六波羅を目指します。松原通は元は五条通と呼ばれていたのですが、豊臣秀吉によって五条通が南にずらされて現在のようになりました。弁慶と牛若丸が戦ったといわれる五条大橋も実は今でいう松原橋のことを指していたのだといわれています。清水寺へと続く本来の参詣ルートもこちらなのです。
次に立ち寄った六波羅蜜寺は、念仏で有名な空也上人が開いたお寺。社会の教科書に載っている、口から「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の六字をあらわす六体の小仏が噴き出した空也上人立像があります。
またこの辺りは六道の辻といって、古来よりこの世とあの世の境であるとされ、いくつか不思議なお話が伝わっています。
あの世へつながる井戸があるという六道珍皇寺
http://rakutabi.kyo2.jp/archives/29736328.html
で、以前講座でお出ししたことのある幽霊子育飴を分け合って小休止としました。
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五条坂まで来るとゴールデンウィークの真っ只中だったことを思い出しました。次の目的地の清閑寺へは、清水寺の境内を抜けて行かねばなりません。
そこで鳥辺野という京都の一大葬送地を通りました。山の斜面を覆うようにどこまでも広がるかに見える墓地。夜はとてもじゃないけど怖くて通れませんが、昼間ならいっそ壮観とも言えるくらいの余裕を持って、混雑をほぼ避けて清水寺へと行くことが出来ました。
音羽の滝の行列を横目にさらに奥へ。すれ違う人がまばらになっておよそ10分ほどで、清閑寺が見えてきました。清閑寺に至る道は「歌の中山」といい、古く歌にも詠まれたところで、こんな話も伝わっています。あるとき清閑寺で修行中の僧が門前を通った美しい女人に見とれ、話してみたいばっかりに迷うはずもない近くの清水寺への道を尋ねたところ、
見るにだに 迷うこころのはかなくて まことの道を いかで知るべき
(女の姿に心迷っていては悟りの道をどうして知ることができましょう)
とからかいの歌を返されたとか。
清閑寺は葉の小さなもみじが美しい、とても静かなお寺でした。今は青い葉を透かして望める景色は山と山の狭間で、ちょうど開いた扇のようになっています。お庭の真ん中にはその要に見立てた「要石」という石が据えてありました。
近くには高倉天皇の御陵があります。天皇は清閑寺で尼となった小督局を想い「死んだ後は小督の側に」という言葉を遺されたそうで、小督局の墓もその御陵内にあるそうです。
少し道を戻って、清水の舞台を反対側から見ることできる泰産寺の子安の塔のところでこの日は解散となりました。
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