第22話 らくたびツアー 第12弾
〜日野の里散策と「はねず踊り」を訪ねて〜
法界寺 −日野誕生院 − 平重衡卿墓 −一言寺−善願寺
−醍醐寺−醍醐天皇陵−隨心院(はねず踊り)
2006.3.26 記 : きょうすけ
三月最後の日曜日。東西線石田駅に集まりスタートしました。
この辺りは醍醐から伸びる新興住宅地といった感じで真新しい家も多いです。
20分ほど歩いて法界寺に到着しました。事前にアポイントをいれていたのでご住職さんがお堂を空けておいてくださいました。20人を越える人数に少々驚かれながらもライトで照らしながら丁寧に解説してくださいました。
法界寺は平安時代の名門貴族日野氏の菩提寺として建立され、親鸞聖人や、応仁の乱の原因を作ったといわれる日野富子が出ています。阿弥陀堂と阿弥陀如来は国宝指定で本尊薬師如来は乳薬師と呼ばれ授乳信仰が盛ん。やはり国宝の阿弥陀如来は雄大で慈悲深く、スケールが大きいです。
また光背は天女の透かしで、ライトを当てるとお堂に天女が影絵になるという粋な演出に歓声があがりました。 |
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| 法界寺 |
その後、日野誕生院で親鸞聖人の像を拝み、一路北へと。20分ほど進むと団地の中の公園に石碑や石塔が・・・。これは平重衡の墓とされるもの。平重衡といえば清盛の五男で南都焼き討ちを行い、大仏殿を焼失させたことで知られています。文武に秀で、戦では負け知らずでしたが、最初で最後の負け戦となった「一の谷の戦い」で、義経の鵯越を防ぎきれず、捕虜となってしまいました。しかし、捕らえられてからの立ち振る舞いは正々堂々としており、源頼朝も客分の扱いをしたといわれています。残念ながら、焼き討ちの恨みを持つ南都に引き渡され、斬首されてしまいます。ここには重衡の妻、藤原輔子が住んでおり、別れを惜しんだという場所と伝えられています。
そして更に10分北へ歩き、急勾配を一言寺へ。醍醐寺の塔頭で、1つだけ願いをすれば言下にかなえられるということからこの通称名がついており、正式には金剛王院といいます。ここでは住職さんがいろいろと境内にある花の説明をしてくれました。梅や桜、そして府の天然記念物のヤマモモの木などが見事でしたが、残念ながらヤマモモの木は今年は咲かない年だそうです。
その後、程近い善願寺へ。通称は腹帯地蔵。重要文化財に指定された腹帯をした地蔵さんが新しいお堂いっぱいに鎮座されています。意外と大きい姿にびっくり。そしてなんといっても驚いたのは、カヤの生木に彫った不動明王。仏師西村公朝さんが1日で彫ったという不動明王は、なんと生木に彫られています。まだ木は生きているので徐々に不動明王は隠れていくのだとか。木の生命力や、神木に向かった西村さんのエネルギー、不動明王の持つ力などいろんなパワーに溢れた貴重な像を拝観させていただきました。
そして桜の名所、醍醐寺へ。奥から咲き始めているのがわかりました。ここが満開になるとすごいだろうなと想像しながら、いよいよクライマックスの隨心院(地図 )へ。すると境内を入ったとたん、梅の一大世界が。折り重なる花の色彩が疲れを一瞬にして吹き飛ばしてくれます。
地元の子供達が、日ごろの練習の成果を発揮して踊る「はねず踊り」を見ながら、近くの「山科わかさ屋」の季節限定のはねず餅もいただきました。衣装がカラフルで可愛らしく、大勢の方が立ち見で熱心に見入っていました。
はなのいろは うつりにけりな いたづらに
わがみよにふる ながめせしまに
自ら美の移ろいを嘆いた絶世の美女、小野小町が住んだとされる隨心院。
その小町の美貌に勝るとも劣らない美しさの梅苑と、華やかで可愛らしい踊りを満喫してツアーは終了しました。
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