第21話 らくたびツアー 第10弾
初弘法と失われた平安京遺跡の旅
若一神社 −円光寺 − 梅林寺 −鎌達稲荷神社−西寺跡
−羅城門跡−矢取地蔵尊−東寺
蓮華門−初弘法
2006.1.21 記 : きょうすけ
週末は雪の確立90%という予報を覆し、意外にも穏やかな天候の下、ツアーが開始されました。24人という人数でスタートし、まずは西大路八条にある若一神社へ。ここは平家全盛期の棟梁であった平清盛の屋敷跡。現在も神供水という名水が湧き出ています。
清盛公の石像に水をかけ、外にでると大きな楠木が。よくみると、この楠木を避けるようにそこまでは真っ直ぐの西大路通りが蛇行しているのです!!神木を切ることができなかったんですね。歴史と信仰心が垣間見られるシーンです。
つづいて八条通りを東へ。御前通りを上ると、小さなお寺が現れます。「円光寺」と書かれた門は閉ざされ、とても観光で入るお寺ではなさそうです。事前に許可をいただいていたので、そっとお庭を拝観させていただきました。
ここは、土御門(つちみかど)家の邸宅跡だったとか。土御門家ときいてピンと来られたかたは、相当の通です。
| 実はあの平安時代の大陰陽師、安倍晴明の子孫にあたる家柄になります。
陰陽師としてその後代々、江戸時代を通じて明治5年まで天文や暦を一手に仕切っていたそうです。
そんな土御門家が使っていた天球儀の台座がお庭に残っていました! 1辺が1.5mの四角形に十字に溝が掘られています。その十字は東西南北を正確に指し示しているとか。
未だに実物が残っていることに感動しました。 |
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| 天球儀の台座 |
そして、続いて通りをはさんで斜め向かいの梅林寺へ。ここでも事前にお願いしていましたが、このツアーの為に、門を開いてお寺の方が待っていてくださいました(感謝)。
資料までいただき、丁寧に説明を受けます。
ここは土御門家の菩提寺で、おなじく天文を研究する際に使った台座と、歴代の土御門家のお墓が残っています。不思議なことに、土御門という名前なのに亡くなったら墓石にはすべて「安倍」という名前が刻まれていました。これは安倍晴明の子孫という誇りでしょうか?お墓を前に質問コーナーとなり、いろんな話題に花が咲きました。
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そしてこのエリアで最後に訪れたのは稲住神社です。
この場所がすごく細い裏路地を入っていったところにあり、境内も四方を民家に囲まれてなんとか場所を確保しているような状況でした。案内なしではたどり着けないようなこの神社の祭神が安倍晴明その人でした。おそらく昔から信仰されていた神社に、土御門家も邸宅に隣接していため、深く信仰し、祭神にその先祖の安倍晴明を祀ったのではと思われます。こんな小さい形となっても、しっかりと残っていることが素晴らしい!!やはり京都だなって思いました。
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| 稲住神社 |
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不思議な空気が未だに漂っていたエリアを跡に、
JRをくぐり、南へ向かいます。
途中にはこんなお地蔵さんが。地域の信仰心がみられます。
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するとまもなく、視界がさっと広がりました。
大きな公園に築山のような大きな盛り土が!!ここが西寺のあったところ( 地図 )です。現在も五重塔をはじめ諸堂が残り、京都の南のランドマーク的存在の東寺にくらべ、なんとも対照的な光景に歴史の長さと厳しさを感じます。解説で強調したことに、「東寺に比べて西寺がこのようになってしまったのは、はかない、不運だと感じる人が多いと思いますが、むしろ西寺のこの現実はいわば当然で、逆に残っている東寺が奇跡なんだということ」その奇跡を演出したのは・・・おわかりですよね。
さて西寺では休憩タイムで東寺餅をいただいました。さすがに西寺では商売は難しいですね(笑)。今は近所の子供たちの絶好の遊び場になっていました。
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そんなのどかな西寺址の北側に鎌達稲荷神社(けんたついなりじんじゃ)があります。
この神社は土御門邸内にあった同家の鎮守社だったそうです。西寺と土地が重なっているのも歴史の長い京都らしいですね。
ちなみに土御門家はここへ室町後期に移ってきたようです。 |
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鎌達稲荷神社 |
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そして都の南玄関になる羅城門(らじょうもん)へと向かいます。
羅城門というと芥川龍之介の作品「羅生門」で有名です。完成当時は、高さ32m、奥行き8mの瓦葺の堂々とした都の入口の門でした。にもかかわらず、あとに残るのは明治時代に立てられた石碑が一つ、狭い公園になっているだけです。西寺より更にそのはかなさを感じます。
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羅城門石碑 |
この西寺や羅城門の荒廃は平安京の地形が大きな理由として挙げられます。
南へいくほど、湿地帯となり人が極めて住みにくい状況になっていたそうで、平安末期には、盗賊の住処にされるくらい荒れ果ててしまっていたそうです。源頼光の四天王、渡辺綱の鬼退治のエピソードも当時の様子をよく表しています。
しかし、同じ地域にあった東寺は、その中で滅びることなく現在に至っています。その秘密を垣間見られる逸話がすぐ南のお堂に祀られた矢取地蔵に残っていました。
都を守るために建立された東寺と西寺は嵯峨天皇の時代に、東寺は弘法大師空海に、西寺は守敏大徳に与えられます。当時二人はライバル関係にあり、弘仁15(824)年、干ばつを解決すべく神泉苑で雨乞いをするよう求められます。最初に7日間、守敏大徳が行うものの雨は降らず、その後、空海が行ったがやはり降らなかった。不思議に思った空海はもう2日間延長を申し出てお堂にこもり、全世界見渡して雨を降らす龍を探してみると、ことごとく守敏によって龍が封印されていることがわかった。
しかし空海は、あきらめず、唯一守敏が閉じ込められなかった善女龍王という龍を見つけ出す。その龍を呼び出すことに成功した空海は3日3晩都に雨をもたらし名声を不動のものとした。おもしろくない守敏は、空海をねらって矢を放つ。その矢を身代わりとなってうけとめたのが地蔵菩薩であったのです。
後にこの地蔵菩薩は「矢負い地蔵」と呼ばれ、転じて現在「矢取地蔵」として残っているそうです。解説に出た、東寺の奇跡を演出した人がここで登場しましたね。
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羅城門跡に別れをつげ、いよいよ縁日で賑わう
東寺(地図 )へ向かいます。細い路地を抜け、雄大な蓮華門に到着しました。
西側に立つこの門は、鎌倉時代初期のもので、東寺の木造建築の中では最も古い門になります。見た目はそれほど古そうに見えないのですが、シンプルで力強いエネルギーを感じる門でした。
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東寺 蓮華門 |
| そして南に回り正面の南大門から弘法市へ。
毎月20万の人が訪れ、1200〜1300の露天が立ち並ぶ境内は
「初弘法」ということもあってか、多くの人で賑わっていました。すれ違うことにも一苦労する場面も。
なかほどまで歩いて後は自由見学ということで解散となりました。 |
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弘法市 |
※追記
安倍晴明と空海・・・今日の登場人物となった偉大なパワーを持った二人のことを考えてみると、歴史にifはありえないですが、もし後に、安倍晴明に西寺が与えられていたら、もう少し西寺も変わった歴史を歩んだかもしれないなぁと。
土御門邸が西寺エリアに隣接していたのでなおさら・・・なにやら空想を掻き立てられるツアーとなりました(僕だけでしょうか?)。
次回はこれまた絶大なるパワーを持った菅原道真と北野天満宮に迫ってみたいと思います。
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