第18話 らくたびツアー 第7弾
特別拝観 『 大徳寺 聚光院 』 と 『 通称寺 』 ぶらり散策
北野天満宮 − 通称寺巡り − 船岡山 − 大徳寺 聚光院
2005.11.15 記 : きょうすけ
昨日の雨はすっかり止み、今日は晴天となりました。 今回は学問の神様で知られる
「北野天満宮 」 から、町衆から通称の名で呼ばれ親しまれているお寺を巡り、特別拝観実施中の 「 大徳寺 聚光院 」 まで。 テーマは 「 ディープな京都を巡る 」 というわけで、さっそく北野天満宮 (
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) の参道で珍しい鳥居に遭遇しました。
伴氏社
連弁の台座
伴氏社 ( ともうじしゃ :
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) と石碑があり、石造の鳥居が何気なく建っています。
なんでも 「 京都三珍鳥居 」 とか。 いったいどこが?? その答えは鳥居の足元にありました。 蓮弁の上に建っていたのです。 これは説明してもらわないと見過ごしてしまいそう・・・ ちょっと得した気分になりました。 楼門をくぐり、あちらこちらに横たわる牛を撫で撫でしながら、いよいよ社殿へ。
三光門
臥牛
ここでストップ!! この三光門 ( さんこうもん :
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) で出された難問が、「 三つの光を見つけてください〜。 」 なんでも太陽・月・星が門の中に彫られているそうです。
だから三光門。 みんな必死で上を向いて探しています。 太陽が見つかり、星が見つかり。 そして最後・・・月がかなり難しい。 しばし無言で探す皆さん、そしてあった、あったという声がちらほら。 気がつけばツアー以外の人も一緒になって探しています。 そうなんです、月は銀色の三日月でかなりわかりにくかったというわけです。 なんとか見つけることができて皆さん大満足の様子。 肝心のお参りも忘れてしまうほどでした。 境内横に伸びる 「 御土居 」 ( おどい : 秀吉が洛中洛外を分けるため造った土塁 :
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) を見学した後は、もっとも古い花街 「 上七軒 」 ( かみひちけん :
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) に入っていきます。
上七軒
花街や舞妓さんといえば祇園をイメージしがちですが、通な旦那衆はここ上七軒に来るくらい、格式や歴史なら祇園には負けません。 提灯には団子が 10個連なっています。
祇園は 8個というのも、もしかしたらこの上七軒に気をつかったとも。 途中、真盛町の看板を見つけました。 どこかで聞いた名前だと思いきや、京菓子 「 真盛豆 」 ( しんせいまめ ) が生まれたのもこの界隈だそうです。 真盛上人という天台宗の真盛派を開かれた僧の辻説法の際に振舞われたものだそうです。 しかし町名に残っているというところが京都らしいですね。 花街を抜けると千本釈迦堂へ。
千本釈迦堂
本堂
千本釈迦堂 ( せんぼんしゃかどう : 正式名称、大報恩寺 : だいほうおんじ :
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) は大きなお寺にも関わらず、町に溶け込んで、あまりにも目立たないため、見落としてしまいそうになります。 しかし、ひとたび参道へ入ると、その本堂の存在感には圧倒されます。 それもそのはず、この本堂は安貞元 ( 1227 ) 年に建立されてから、たったの一度も焼けていないのです。 まさに創建当時そのままの姿。 あの応仁の乱ではこのあたりは激戦区のはずなのに・・・。 まさに奇跡的なお堂というわけです。 しかもこのお堂の建立の際には、あるエピソードが残されています。
おかめさん
本堂に向かって右手に 「 おかめさん 」 の銅像がにっこり微笑んでいます。 その昔、おかめさんの夫であった長井高次は腕のいい大工の棟梁で、この千本釈迦堂の本堂建立を指揮していました。 ところが千慮一失というべきか、なんと大事な4本の柱のうちの1本を短く切ってしまったのです。 これを悩む夫に対して、「 切ってしまったものはしょうがいないではありませんか。 それなら他の3本も短く切って、代わりに桝を使って柱を支えてはどうか。 」 という提案をしたのでした。 その通りにすると、かえってどっしりとした風格のあるお堂が完成し、長井高次の名声は上がりました。 しかしこのおかめさん、夫の名声が自分のアドバイスによるものだと世間に知られたら夫の恥だと感じ、自ら命を絶ってしまったのです。
これを嘆き悲しんだ夫はおかめさんの供養を行い、以来、おかめさんの供養碑は全国の大工関係の人の信仰を集めているとか。 しかし、夫のミスを外にもらさないように自害したおかめさんでしたが、かえって結果的には後世まで夫のミスとそれを救ったおかめさんの話が残ることになり、天国のおかめさんも複雑かもしれませんね ( 笑 )。
京漬物 近為
名物は 「 柚子こぼし 」
千本釈迦堂からしばらく東へ進むと千本通りへ。 ここから北へ向かうと 「 近為 」 ( きんため :
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) さんが見えてきます。 京漬物としておなじみのお店で、現在ではツアーの見学地 ( 買い物 ) として観光バスでやってくる団体さんもいらっしゃるそうです。
通称、釘抜地蔵
釘抜きと釘の絵馬
さて、続いて石像寺 ( しゃくぞうじ :
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) へ。 ここは 「 釘抜地蔵 」 ( くぎぬきじぞう ) という通称名の方がよく知られています。 古くから 「 苦しみを抜く 」 という信仰があり、いつしか 「 苦抜き 」 ( くぬき ) が 「 釘抜き 」 ( くぎぬき ) となったようです。
まさに民間信仰のお寺で、驚くべきことに境内のお堂の壁には、釘抜と2本の釘が貼り付けられた絵馬がびっしりと並んでいます。 ぐるぐるとお堂の周りを熱心に回ってお参りしている方がおられ、聞けば数え年の分だけ回る 「 苦抜き 」 の御利益があるそうです。
真剣なその姿にこのお寺への町の人々の信仰心を垣間見た気分になりました。 お寺を出たところで、先ほど前を通った近為さんの 「 柚子こぼし 」 をいただきました。 大根との風味が抜群に合っていて、ご飯が欲しい・・・・・。
通称、千本閻魔堂
閻魔様のお顔が!
さて次はこのツアーで最もディープともいうべき 「 千本閻魔堂 」 ( せんぼんえんまどう : 正式名称、引接寺 : いんじょうじ :
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) へ。 大きな閻魔さんが迎えてくれます。
ここは蓮台野 ( れんだいの : 古くからの葬送地 ) の入口にあたり、あの世とこの世の境目だったとか。 なるほど閻魔さんがいらっしゃるのも納得です。 お堂の中の本尊はもちろん閻魔大王で、参拝すると厨子は閉まっていて、小窓から顔がすこしだけ見えました。
その小さい窓越しで充分すぎるほどの迫力だったのですが、なんとここでお寺の方が、お堂を開けて仏事をされる時間に遭遇したみたいで、約3分ほど、扉が全開になりました!
ラッキーなのか、そうでないのか、閻魔さんのお姿を全て見てしまうことになり、その迫力に圧倒されてしまいました。 恐ろしい!! この閻魔大王にお仕えしていたのが、この寺の開基である小野篁 ( おののたかむら ) で、その昔、源氏物語を書いた紫式部が閻魔大王の前に来たときに、地獄に落ちないよう弁護したという逸話が残っています。 その逸話からか、またこの辺りが紫野と呼ばれる場所であるためか、こちらには紫式部の供養塔もありました。
上品蓮台寺
なんともいえない雰囲気の漂う千本閻魔堂を後に、さらに北へ向かって上品蓮台寺 ( じょうぽんれんだいじ :
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) へ。 ここは観光のお寺ではないだけに、こっそり人の家の庭に入るような雰囲気です。 もちろん参拝者は皆無。 まずは平安後期の大仏師
「 定朝 」 ( じょうちょう ) のお墓へ。 実は定朝のお墓は、前回のツアーで訪れた廬山寺 ( ろざんじ ) にもありましたが、こちらの上品蓮台寺のお墓の方がしっかり区切られていて、手厚い感じがしました。
蜘蛛塚
そしてお目当ての 「 蜘蛛塚 」 ( くもづか ) へ。 墓地の一番奥まったところ、大きな木が目印です。 木の下の石碑には 「 源頼光朝臣首塚 」 と記されています。 平安中期の源氏の棟梁であった源頼光 ( みなもとのよりみつ ) が病に臥せっていた時、枕元に怪しげな法師が現れたといいます。 名刀 「 膝丸 」 で切りつけるとパッと消え、残った血痕をたどるとこの塚につづいており、四天王の一人 「 渡辺綱 」 ( わたなべのつな ) が脇差で刺すと刀の先に大きな蜘蛛がうごめいており、賀茂川に干したところたちまち源頼光の病は癒えたという話です。 あたりは無数の無縁仏が広がり、この一帯ならそのような伝説もすごく信ぴょう性を感じてしまいます。
船岡山
船岡山からの 「 左大文字 」
さていよいよここからは 「 船岡山 」 ( ふなおかやま :
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) へ登ります。 平安京遷都の際、第50代桓武天皇が国見をした丘として知られ、北を守る神である 「 玄武 」
( げんぶ ) として都の変遷を見守ってきた丘です。 今日は快晴だったので丘の上からの景色がよく見え、京都市内が一望できました。 ましてや桓武天皇の頃はさぞ見晴らしがよかったでしょうね。 ちなみに、この船岡山からは京都五山の送り火のうち鳥居形をのぞく4つの山の送り火を楽しむことができます。
建勲神社
境内にて
景色を堪能したあとは、少し移動して 「 建勲神社 」 ( けんくんじんじゃ :
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) へ。
ここは織田信長と信忠 ( のぶただ : 信長の長男 ) が祭神となっています。 ここでは
真盛豆を食べて一休み。
大徳寺へ
聚光院
山を下りれば本日の最後 「 大徳寺 」 ( だいとくじ :
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) の境内が現れます。
今回のツアーで拝観したのは、秋の特別拝観で公開されている 「 聚光院 」 ( じゅこういん :
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) です。 「 三千家 」 ( 千利休から始まる茶道の家元である表千家、裏千家、武者小路千家の三つの千家 ) の菩提寺でもありますが、何より圧倒されたのは、方丈の襖絵がすべて国宝ということ。 描いたのは狩野松栄 ( しょうえい ) と 永徳 ( えいとく ) の父子。 その画風は対照的で、父松栄は全体的に線が細く優しい感じで女性的。対する永徳 ( 当時24歳 ) の絵は若さにあふれて躍動的、線がくっきりでびしーーーっと細部まできっちり描かれています。 豪放にして繊細という、なんともすごいスケールを感じました。 この永徳は信長、秀吉に愛され、安土桃山時代の代表的画家として才能を発揮しただけではなく、江戸幕府の御用絵師となった狩野派の確固たる地位を確立させたことにも納得させられました。 その後、茶室 「 閑隠席 」 ( かんいんのせき ) もゆっくり見ることができました。 この大徳寺はどの塔頭にも茶室があって見所も多いので、次の機会もゆっくり訪れたいですね。 ( 写真撮影禁止 )
今日は快晴の中、ちょっと普通の観光では行かないスポットを巡り、京都の奥深さを堪能できて大満足でした。
御参加、ありがとうございました!
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