第17話 らくたびツアー 第6弾
梨木神社 『 萩まつり 』 と 初秋の 『 寺町通 』 ぶらり散策
三条大橋 − 木屋町通 − 寺町通 − 梨木神社 萩まつり
2005.09.29 記 : あさがお
今回の 「 らくたびツアー 」 は三条大橋東詰めに集合。 『 初秋の萩ツアー 』 と題するにもかかわらず、晴天に恵まれて真夏のような暑さになりました ( 汗 )。 しかし、その暑さに負けず多くの女性が着物でお越しになり、華やかな雰囲気に包まれた らくたびツアー は、約20名にてスタートしました。
三条大橋
弥次さん喜多さん
まずは江戸と京都を結んだ主要街道 「 東海道 」 の京都への入口であった
三条大橋
を渡ります。 橋の西詰めには、江戸後期に十返舎一九 ( じっぺんしゃいっく ) によって書かれた 「 東海道中膝栗毛 」 ( とうかいどうちゅうひざくりげ ) の主人公である 「 弥次さん喜多さん 」 ( やじさんきたさん ) の像があります。 京都は古都として、その頃から既に観光地として全国から人が訪れていたようですね。
瑞泉寺前にて
最初に訪れたのは、三条木屋町下ル東側にある瑞泉寺 ( ずいせんじ ) です。 見落として通り過ぎてしまいそうな小さなお寺ですが、こちらには豊臣秀吉の甥にあたる豊臣秀次 ( とよとみひでつぐ ) と、その側室39名の供養塔があります。 秀吉の数少ない身内として引き立てられ、聚楽第 ( じゅらくだい ) を与えられて関白まで昇った秀次でしたが、秀吉と淀君の間に嫡男秀頼 ( ひでより ) が誕生すると、しだいに疎まれ、ついには高野山へ追放の後、切腹となりました。 秀次の首は三条河原にさらし首となり、側室であった39名の女性も次々と処刑され、一緒に塚に葬られて供養されたとか。 江戸時代の初め、高瀬川を開いた角倉了以 ( すみのくらりょうい ) は、河原からその供養塔を見つけた際に菩提を弔うために瑞泉寺を建立したそうです。
こんな小さなお寺にもそんなエピソードがあるなんて、いきなり京都の歴史の深さに触れた思いです。 ここは訪れる人も少ないため境内で簡単に自己紹介をしました。 西は岡山県から、東は東京からと広い地域から今回もご参加いただきました。
坂本龍馬寓居 「 酢屋 」
酢屋の前にて
さて ここからは木屋町界隈、幕末の史跡めぐりとなります。 案内役のきょうすけさんからは、坂本龍馬 ( さかもとりょうま ) と桂小五郎 ( かつらこごろう ) の2人を中心に幕末という時代を解説してもらうとの話でしたが、その1人目、坂本龍馬の住んでいた 「 酢屋 」 ( すや ) に到着です。 木屋町の材木商をしていたようで、ここの2階を龍馬が間借りしていたそうです。 ここでは幕末をわかりやすく、スケッチブックで整理しながら解説をしていただきました。 坂本龍馬による
薩長同盟
と
大政奉還
は、一方では幕府を倒すためであり、一方では幕府を守るためと、表向きは相反するようにみえますが、どちらも日本を諸外国から救いたいという使命感から出た案であり、龍馬が既成の概念にとらわれず大きな視点で物事を見て、かつ行動に移したのかというのがよくわかりました。
池田屋騒動之址 石碑
(伝) 三条大橋
欄干に残る刀傷
続いて、
池田屋事件
の跡を見学しました。 1864年の祇園祭の宵山の夜、ここに集った長州藩を中心とした攘夷派の志士を、
近藤勇
を中心とする新選組が急襲しました。 その時に池田屋に踏み込んだ新選組隊士は、
沖田総司
を始めとする屈指の剣の使い手わずか4名でした。 闇夜の乱闘の中、
副長土方歳三
の加勢もあり、30余名の攘夷派志士のほとんどが斬殺、または捕縛され、逃げることが出来たのは数名でした。 この池田屋事件によって、新選組の名は一夜にして全国に知れ渡ることとなりました。 今はパチンコ店前に石碑が残るだけですが、昨年の大河ドラマの影響か、新しい看板も立ち、パチンコ店の壁も新選組隊士の服の色になっていたのが面白かったです。
武市瑞山寓居之跡
大村益次郎遭難之碑
三条木屋町を上がると土佐勤皇党を率いた
武市瑞山
( たけちずいざん ) の住んでいた石碑や、同じく土佐出身の天誅組の変を起こした吉村寅太郎 ( よしむらとらたろう ) の石碑があります。 さらに御池通を越えたところには、鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争で長州軍を率いて大活躍した大村益次郎 ( おおむらますじろう ) や、兵学者でもあり、勝海舟 ( かつかいしゅう ) や吉田松陰 ( よしだしょういん ) などが師と仰いだ佐久間象山 ( さくましょうざん ) の遭難跡など、本当にたくさんの史跡がでてきます。
桂小五郎像の前にて
桂小五郎幾松寓居之跡
なかでもハイライトは桂小五郎でしょう。 長州藩邸跡地に建つホテルオークラの前には、刀を持って座った桂小五郎像があります。 その裏の木屋町通り沿いには、桂小五郎の愛した芸者であり、後に妻となる幾松ゆかりの料亭 「 幾松 」 ( いくまつ ) があります。 ここでは着物の女性陣で集合写真を。 モテモテの桂小五郎という感じですね。
ところで桂小五郎は、多士済々の長州藩の中でどうしてこれほど活躍できたのか。 解説ではシンプルに 「 死なずに生き延びたこと 」 とありました。 なるほど、池田屋事件では吉田稔麿 ( よしだとしまろ )、
禁門の変
では久坂玄瑞 ( くさかげんずい ) らが命を散らし、高杉晋作 ( たかすぎしんさく ) も戦いの途中で亡くなる中、常に生き延び、その舵取りを誤らなかった桂小五郎こそが、長州藩の、いや日本を救った人物の1人としてまず挙げられるということが実感できました。
高瀬川一之船入
角倉了以別邸跡
木屋町通りは二条通りに突き当たりますが、その手前には
「 高瀬川一の舟入 」
があります。 昔は、ここから高瀬川 ( たかせがわ ) を行き来した高瀬舟 ( たかせぶね ) がスタートしていました。 実は高瀬川は運搬を目的に造られた人工の運河であり、この運河をつくったのが、先ほどの瑞泉寺でもでてきた、京都の豪商 「 角倉了以 」 ( すみのくらりょうい ) です。 1614年に開かれた高瀬川のおかげで、京都と大阪が川でつながり、人と物資の移動に大きく貢献しました。 その角倉了以の邸宅跡は明治時代、山県有朋 ( やまがたありとも ) の邸宅などを経て、現在は 「 がんこ二条苑 」 となっています。 ここで食事をすると、鴨川の水を引いた歴史ある庭園の解説を聞きながら回ることができるそうです。
島津創業記念館前
鹿の子さん お慶はん 敦梅さん
さて、ツアーは寺町通に入ります。 「 寺町通 」 という名前は、桃山時代に豊臣秀吉が京都の都市改造を行なった際、洛中に点在する寺院を鴨川沿いの通りに強制的に移転させ、諸宗派の寺院が通りの東側にならんだことに由来しています。 現在の寺町通は寺院の数が少なくなったものの、仏具や筆墨、骨董屋や画廊、そして和菓子などの老舗も多く、歴史の流れに想いを馳せながら歩くことができるおすすめの散策道なんです。
一保堂 ( 昨年撮影 )
一保堂の前にて 敦梅さん
さて、こちらは享保年間 ( 1717年 ) 創業のお茶の老舗 『 一保堂 』 ( いっぽどう ) です。 昔は 「 近江屋 」 という屋号で茶、茶器、陶器を扱い、やがてお茶の品質の良さが評判を呼び、今から約160年前の弘化3 ( 1846 ) 年、山階宮 ( やましなのみや ) より 「 茶、一つを保つように 」 との願いを込めた 「 一保堂 」 の屋号を賜ったそうです。
ツアーに参加していただいた皆様にちょっとしたおもてなしを・・・と思い、一保堂であるものを買ってみました。それは・・・・・あとのお楽しみに!
行願寺 ( 通称、革堂 )
革堂にて
さて、行願寺 ( ぎょうがんじ ) に到着しました。 こちらは通称 「 革堂 」 ( こうどう ) と呼ばれ、平安時代中期の寛弘2 ( 1005 ) 年に行円上人によって建立された寺院です。 大勢の町衆の苦しみを救うことに力を尽くした行円上人は、いつも革の衣をまとっていたので、いつしか 「 革聖 」 ( かわひじり ) と呼ばれて親しまれるようになり、寺の名も
「 革堂 」 ( こうどう ) となったそうです。
寿老人の石像
あれ、八福神?!
革堂は西国霊場19番札所でもあり、また都七福神の1つ 「 寿老人 」 ( じゅろうじん : 長寿を授ける神 ) をまつっています。 あれ?
七福神のむこうにもう1人、福の神が! と思ったら、みちざねさんでした。 名前からすると、御利益は学問成就といったところでしょうかね?! しかし、七福神と並んでも違和感はありませんね ( 笑 )。
下御霊神社へ
境内での説明風景
続いて 「 下御霊神社 」 ( しもごりょうじんじゃ ) を参拝しました。
下御霊神社は、政治的な陰謀の犠牲となって幽閉されて自殺した桓武天皇の皇子
「 伊予親王 」 と、その母 「 藤原吉子 」 の霊を慰めるため、承和6年 ( 839 ) に創建されました。 上御霊神社 ( 上京区 ) とともに皇室の産土神として崇敬され、天正18
( 1590 ) 年、秀吉の都市改造によって現在の場所に移されました。 本殿は、寛政2
( 1790 ) 年に宮中の賢所御殿を移築したもの、また表門は皇居の建礼門を移したものといい、皇室との深い関わりを示しています。
古くから、怨みを残して死んだ人の霊は人々に災厄をもたらす怨霊 ( おんりょう ) となると信じられ、特に歴史が長い京都には、政治などで敗れた多くの怨霊が存在するとされました。 それらの怨霊を 「 御霊 」 ( ごりょう ) といい、その御霊を鎮めて平穏を回復し、繁栄をもたらそうとする信仰を 「 御霊信仰 」 ( ごりょうしんこう ) といいます。 この下御霊神社は、まさに御霊信仰に基づいて創建された 「 御霊神社 」 ( ごりょうじんじゃ ) なのです。
梨木神社
萩の咲く境内へ
さて、いよいよツアーのメインイベント、梨木神社の『萩まつり』にやってきました。
御所の西にある小さな神社 『 梨木神社 』。 涼を求めてこちらを訪れた夏の日は、つい先日のことのようですが、今日は萩まつり。 菱形の敷石が連なる参道に沿って植えられた萩の花が今日の主役です。 私の身の丈くらいまで枝を伸ばし、それでもかろうじて人ひとりが通れるくらいの間隔をあけて、私達を招き入れてくれました。 「 萩そば 」 などを売るお店が出ていたり、午前中に舞や狂言の奉納があったために腰掛けが設置してあり、参拝の方が座っていたりして、いつもより賑やか。
名水 「 染ノ井 」
萩にかかる俳句
この日のツアーは絶好の晴天に恵まれたために残暑が厳しく、ツアー参加者もちょっとお疲れのご様子でした。 そこで、梨木神社といえば忘れてはならない名水 「 染ノ井 」。
のどを潤して疲れを癒してもらいたい! との思いから、染ノ井の水で淹れた一保堂のお茶をお出しすることにしました。 お煎茶を水出しにするとかなり時間がかかるので、お店の方にも相談した結果、粉末を溶かして淹れるグリーンティーに決定。 ひそかにお茶と氷を購入し、数人だけ先回りしていそいそと準備しました。 その甲斐あって、みなさんにも好評だったようです。よかった〜。
あさがおさん
萩
お茶菓子として添えた丸太町河道屋の 「 そばぼうろ 」 をほおばりつつ、周りを見渡せば境内のそこかしこにも萩の花が咲きほころんでいます。 小さく控えめな花と葉と、さらに和歌の書かれた短冊がかけられ、重みにゆるやかな曲線を描く細い枝が、なんとも優しげ。 白い萩を初めて見ました。
そこはもうすっかり秋の景色・・・ そういえば夜などは鈴虫の声も聴こえるようになりましたね。 移りゆく季節を愛でる贅沢を、存分に味わった一日でした。
御参加、ありがとうございました!
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